宇宙と人間の結びつき

スピリチュアル

こんにちは。

今日は、宇宙と人間の結びつきについて、私の考えをお話ししたいと思います。

ご注意

あくまでも、一人の人間の見解であり記事内容が真実ではない場合や諸説ある場合もあります。また、私の考えと違う方がおられると思いますが一つの物語としてお読みください。

宇宙と人間の結びつきって、なんだと思いますか?

私たちは、宇宙の一部であり、宇宙から生まれた存在ですよね。

でも、私たちは、宇宙をどこまで知ることができるのでしょうか?

そして、私たちは、宇宙にどんな影響を与えることができるのでしょうか?

この記事では、これらの問いに答えるために、哲学的な視点と密教的な視点から、宇宙と人間の結びつきを探っていきたいと思います。

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哲学的な視点

哲学的な視点から見ると、宇宙と人間の結びつきは、認識と存在の関係として考えられます。

認識とは、私たちが感覚や理性を使って、外の世界のものやコトを知ることです。

存在とは、私たち自身や外の世界のものやコトが、あるようにあることです。(はい、ややこしい)

認識と存在の関係には、二つの基本的な考え方があります。

一つは、認識が存在に合わせるという考え方です。これは、現実主義(realism)と呼ばれます。現実主義では、私たちが認識するものは、客観的にあるものであり、私たちの認識はそれを正しく反映するものだと考えます。

言い換えれば、観察してものやコトがあると確信したことと言えるでしょう。りんごを見て赤いリンゴがある。という感じでしょうか。

もう一つは、存在が認識に合わせるという考え方です。これは、観念主義(idealism)と呼ばれます。観念主義では、私たちが認識するものは、私たちの心や言葉によって作られるものであり、私たちの認識はそれを作り出すものだと考えます。

ものは目の前に無いですが、友人から赤いリンゴがあったんだ。と言われて頭の中であなたは赤いリンゴを脳内で創造したという感じでしょうか。

現実主義者は、宇宙と人間の結びつきをあまり強く感じません。

彼らにとって、宇宙は人間に関係なくあるものであり、人間はその一部分にすぎません。人間は宇宙を知ることができますが、それは限られたものです。また、人間は宇宙に影響を与えることができますが、それは大したことではありません。

観念主義者は、宇宙と人間の結びつきをすごく強く感じます。彼らにとって、宇宙は人間によってあるものであり、人間はそのすべてを表すものです。人間は宇宙を知ることができますが、それは自分自身を表現することです。また、人間は宇宙に影響を与えることができますが、それはすごく大切なことです。

密教的な視点

密教的な視点から見ると、宇宙と人間の結びつきは、真理と悟りの関係として考えられます。

真理とは、すべてのものやことが持つ本当の姿や法則です。真言宗では、大日如来をそのように言います。

悟りとは、私たちが真理を直接に感じることです。大日如来=宇宙を感じることです。

真理と悟りの関係には、二つの基本的な段階があります。

一つは、真理と悟りが離れているという段階です。これは、煩悩(bonnou)と呼ばれます。煩悩では、私たちは真理を知らずに、自分や他人や物事を分けて、しがみついたり嫌ったり無知だったりします。自我があり、他人と比較している状況と言えます。

もう一つは、真理と悟りが一つになるという段階です。これは、菩提(bodhi)と呼ばれます。菩提では、私たちは真理を知って、自分や他人や物事を一つにして、自由になったり優しくなったり賢くなったりします。全ては、別け隔て無く同じであると言えるでしょう。

密教では、宇宙と人間の結びつきを深く考えます。

密教では、宇宙は真理の表れであり、人間は真理の具現です。

人間は宇宙を知ることができますが、それは普通の認識ではなく、神秘的な悟りです。

また、人間は宇宙に影響を与えることができますが、それは普通の行動ではなく、奇跡的な力です。密教では、宇宙と人間の結びつきを実現するために、いろいろな修行や儀式を行います。それらは、真理の象徴である仏像や曼荼羅や呪文などを使って、私たちの心や身体や言葉をきれいにし、真理(大日如来=宇宙)と合わせるものです。

まとめ

この記事では、哲学的な視点と密教的な視点から、宇宙と人間の結びつきについてお話ししました。哲学的な視点では、認識と存在の関係として、現実主義と観念主義の二つの考え方がありました。密教的な視点では、真理と悟りの関係として、煩悩と菩提の二つの段階がありました。どちらの視点も、宇宙と人間の結びつきに対する違う見方や考え方を教えてくれます。私たちは、見えるものを信じ、見えないものは無いものとすることが普通に行われています。

ただ、人間に可視範囲はとても狭いもので、見えないものが大半を占めており、それをすべて知ったかのように振る舞っています。科学もまだまだ未知の世界が多いですが、人間自体も同じように未知の存在です。

ただ言えることは、人間は、宇宙の一部であり、誰のものでもないということです。私と言う自我が生まれた瞬間から他者があり、比べる事が始まり煩悩が生まれるのです。

私達は、生まれた瞬間は何も知らないただ泣く赤ん坊だったかもしれませんが、その状態が一番宇宙に近い存在なのかもしれません。

人間の能力は、煩悩(自我)によりどんどん能力を制限して言ってるのだと感じています。

その状態に一番近づくように私達は、瞑想をして私を知ろうとする事が宇宙を知るという行為であると考えます。

人間は、宇宙と同一な存在「小宇宙」なのだと考えています。

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